大学病院にて二度目のCTスキャンと手術@オランダ〜コロナ危機後の病院

前回のCTスキャンが全然上手くいかなかったことの続編です。わんぱく心疾患持ち息子がCT検査を受けた結果

ですが、実際に検査を受けたのは2020年の7月上旬で、この記事を書いている(2022年8月…)時点で、すでに2年も時が経ってしまっており、思い出しつつ書いております。

色々と忙しさを理由に完全にブログ更新をサボっておりました。。

この息子の闘病シリーズもいよいよ佳境に入ってまいりました。あともう少しお付き合い下さい。

コロナ騒ぎがなければ、本当ならもう二度目の手術を受けれていたであろう時期をとっくに過ぎても、病院からは検査の案内が送られて来ず。モヤモヤモヤ…していました。なんせお世話になっている地域病院は事務手続きだって、適当に済まされることも多々。諸々経験済みです。オランダでは、病院だろうが、役所だろうが、移民局だろうが、日本人の感覚ならそこぜっっっったいミスしないでしょ!って場所でも平気でミスをされるので、もう最初からこちらが何度も確認すること気でいなければなりません。

(酸素ボンベはリュックの中に入れて一緒にブランコスタイル)

アポの件また、忘れられてるんだろうなーと思い、何度も何度も電話をしました。待つこと、2ヶ月。ついに一回目の手術でもお世話になった大学病院より連絡が入り、CTそしてカテーテル検査も同時に行うことになりました。

カテーテルは二度目であり(一度目は生後3ヶ月に)、あの検査がいかに体力を奪うものかをそばで見てきていたので、少し不安にもなりましたが、血管の状態を的確に把握するには避けて通れません。

とりあえず検査を乗り切ろう!っと自分のおやつも用意していざ病院へ家族みんなで乗り込みました。

そしてまず、言われたのが、「娘さんは入れません」とのこと。(ちなみに、地域病院ではコロナ騒動後も娘も入れていたので、ついオランダのいつもの感じで入れるものと思ってしまっていました。)

事前に言われていなかったので(アポの手紙にも書いておいておくれ泣)、急いで、ママ友に放課後少し預かってもらえないかと連絡をしたり、とバタバタ。もちろん、病院内のプレイルーム(前回は幼稚園のように毎日お世話になった)も全部閉鎖。なんだか寂しさ漂う一年前とは様変わりした小児科病棟でした。

また当日息子が少し鼻水をチョロっと出していることに気づいた看護師さん。これは??!となってすぐにPCRテストです…。そして検査から結果が出るまでは、両親も一切病室から外には出れません、と突然の通告。部屋にやってくる皆さんこんな感じで。ニュースで見たやつーーー!って内心なってました。

もちろん、検査は痛そうで大泣き。。こんなタイミングでこの検査させられちゃうのか、息子にごめんねしかないです。そして無事陰性をゲットしたあとは、看護師さん達も顔のパーツだけ外して、「陰性だったからオッケー!」って言いながら笑顔で色々処置をしてました。そういうところオランダぽいなあといつも思います。

二つの検査を無事終えて帰ってくると、検査前とは変わって、高熱と鼻水と嘔吐と鼻風邪の症状がだいぶ悪化していました。やはり全身麻酔やカテーテル検査の体への負担はかなり大きく、免疫力を落としているのがよく分かります。

その後、いつもお世話になっている地域病院の心臓医と執刀医が病室まで訪ねてきてくれ、検査結果や今後の手術について話してくれました。

  • 手術に十分な大きさに右肺が成長していること
  • つなぐべき血管のポイントを見つけたこと(息子は右肺動脈が欠損しており、心臓を右肺が繋がっていません)
  • 現状を見る限り、すでに酸素をチューブで体内に供給する必要がないはずなので、酸素の供給をせずに体内の酸素濃度を標準値まで保つことができれば、手術にうつるということ

そのため、これから一晩中酸素チューブを外し、様子をみることに。

一晩明けて、酸素濃度の数値は100にいかないもの(一般の健康な人は通常100です)、なんとか90台を出し続け、PCRにつぐ二度目の関門をクリアしました。

そしてドクターから「これで明後日には手術に入ります」と言われ、私は予想外の早さにびっくりでした。今回は検査だけで終わって帰るものだと思っていたものですから。しかも、免疫力が落ちてまだまだ風邪をこじらせたような状態の息子に再度、全身麻酔と処置に術後の体が持つのか、私はそこが引っかかってしまっていました。

ミルクを飲んでも咳や熱があり、吐いてしまっている息子を手術に連れ出していいものなのか。都度都度、私が心配していることをナースに伝えていましたが、「ドクターがそう決めたんだかた大丈夫」の返事ばかり。今まで、薬やワクチンのことなど自分で納得して選択してきた私にとって、その返事は全然響きません。前夜もずっと頭の中で、ドクターとなんと話そうとかと、グルグル考えてあまり寝れませんでした。

そして、明け方手術のための簡単な服に着替え終わり、移動することになっても、やっぱり私は納得ができませんでした。そこで、家にいる夫に電話をして、私よりも英語が話せるので、その場で担当の小児科医と話をしてもらうことに。夫も私の意見や不安を尊重してくれていたので、思うことを話してもらいました。そこでも夫も納得のいく答えを小児科医からもらえなかったので、今度は執刀医が病室までやってきてくれて、夫と話してももらうことに。

執刀医からは、「彼の今の状態は確かに完全ではないが、この状態でも手術が安全にできること」、そして「今、コロナのための病院も手術のスケジュールを組むことが難しくなっていること」、「今回を逃すと更に1ヶ月2ヶ月待つことになってしまうこと」を話してもらい、私達もようやく息子をオペ室へ送り出す決心ができました。

バタバタの三日間を過ごして、息子と私はオペ室へ向かいました。いつものように麻酔用のガスを吸いながら、苦しそうにする息子を見るのは慣れません。呼吸が落ち着くまで見守ると、オペ室を出て、病室の荷物もまとめに戻ります。道中やっぱり不安で不安で、一人になったら泣いていました。病室はすぐに清掃が入るため、看護師ともに荷物をまとめて、マクドナルドハウスへ向かいます。

マクドナルドハウスにて宿泊の手続きを終えて、部屋で一人やっと少しホッとして眠気がやってきた半分、手術が気になる半分。そして予定時刻を1時間ほど超えて、電話がなりました。

術後の息子と対面です。長くなったので、別の記事に。

*最後までお読みいただきありがとうございました。*