オランダから日本へ本帰国しました。

突然ですが、我が家は2023年秋に、日本へ本帰国しました。今は東京ではなく初めての地方住まいをしています。

オランダには結局のところ7年住んで、二度目のビザの更新はせずに本帰国を決断しました。オランダの土地やオランダで出会った人々には、もう本当にたくさんお世話になって、感謝の気持ちいっぱいですが、私達は永住するにはまだまだ未熟でした。

オランダのおおらかな風土の中で、乳幼児期の子育てをさせてもらえたことは、親にとっても、子どもにとっても大きな財産です。赤ちゃんから就学前までオランダで過ごすというのは、私的にはおすすめです。

自分たちのこれからの日本の生活を不安に思うことはないというと嘘になりますが、海外移住前とは全く違う価値観で日本をまた楽しんでいきたいなと思っています。

気になる帰国の理由ですが、やはり大きいのは経済的な理由と家族の将来を考えた時のオランダの環境は本当に自分達のしたい暮らしに繋がっていくのかと考えたからです。

経済的な理由としては、やはり2022年の戦争後のインフレの影響力が我が家には大きく、夫の収入を上げてもらう機会もありましたが、それでも全ての値段が上がっているため、何の役にもたちませんでした。私自身も働きに出ましたが、思うように稼げませんでした。情けないですね。また学童も行政から手厚く手当が出る学校附属の学童は、どの曜日もいっぱいでキャンセル待ちをしてやっと週一回子ども達二人を預けることができ、お互い外で交互に働いて子ども達をみるという生活をしていました。

ちなみに、学童は子ども二人を週一回あずけて手当を差し引いて80ユーロ程の支払いでした。これが週5日毎日となるとそれはそれでなかなかの金額になりますね。この学童や保育園の保育料は世帯収入によって異なります。我が家は手当がもらえる範囲が多くて、この金額でした。(はい、つまり色々ギリギリな感じです。笑泣)そう思うと日本の公立の学童はかなり安いですよね。

次に学校のこともかなり考えました。オランダの小学校は本当にのんびりとしていて厳しいルールもなく(染髪、ピアス、エクステ、ヒールの靴なんでもござれ笑)宿題もほとんどない環境で年間のお休みも多いので、子ども達はのびのび過ごしています。

しかしこれが中等、高等学校へ進学すると一変。本人の希望で進学校へ進むとなると多言語の学習に加えて、一教科でも赤点を取ってはいけないという中で一気にお勉強モードに変わっていきます。つまりそれぐらいオランダで大学生であるということは、学業ができる優秀な人ということになります。

小学校まではオランダ語、英語だけであったのに加えて、ドイツ語、フランス語、ラテン度、オランダ古典と語学だけでこれがまずベーシックにあり、他にも数学、生物、歴史、、etcと日本の学校と変わらない教科ももちろん入ってきます。ヨーロッパが全部そうかというわけではなく、フランスなんかは全く他の言語はやらないようで、それだけオランダは小さい国ながらヨーロッパで勝ち抜いていくエリート層を育てるにはこれだけ必要ということだと思います。

さてそこにきて、日本語も維持してほしいなーなんて言うのは、親のエゴだなとと思ってしまいました。今の年齢なら、お休みの日もママと一緒、日本語の本も読み聞かせできる。学校以外の時間は日本語で過ごす時間がある程度取れるので、現地校に通っている割には日本語もネイティブの感覚と変わらず話せています。

これが思春期になれば、学校外の時間も友達と過ごす時間が増え、自宅での学習時間には常に他の言語に追われる。両親が完全な日日家庭であっても、子どもたちが成人する頃には親子でネイティブの会話ができなくなるんだろうなと。娘が赤ちゃんだった頃にはあまり現実的ではなかったことが、少し現実味を帯びてきました。

また乳幼児時期からオランダで育って成人を迎えている日本人の方のインタビューを拝見したり、同じように赤ちゃんの頃からオランダで育ってきた私の前の職場の上司であったベトナム人の女性との会話で、彼らはおんなじことを言っていました。「私の心は、オランダ人だ」と。どちらも両親は本人と同じ国籍でオランダ国籍ではありません。私はその言葉を聞いた時に、正直な感想を言わせてもらうとショックでした。うちの子ども達には言ってもらいたくないと。

オランダ人が嫌いだからなんて理由ではないんです。日本人であるとこの尊さを海外生活で身に染みて感じてしまったからこそ、日本語を、日本人として生まれたことを忘れてもらいたくないなと。

移住前は海外で暮らせば、マルチリンガルな日本人として育つと勝手なイメージがありました。しかし実際にそれを達成するには、海外に暮らしながらでは、かなり注意して工夫して、エネルギッシュに子どもへ日本人であることに意識も持ってもらえるよう、働きかけることが必要です。多くの現実として待っているのは、日本語が少し話せるオランダ人として育つということでした。

自分でもびっくりするくらい子ども達が日本人としてあり続けてほしいと思う気持ちがこんなにも強いと思わなかったですし、こんな時代だからこそ、日本人であることを選んで生まれてきたことを忘れて欲しくないという気持ちを大切にしたかった。

日本を出た時には想像できていなかったことがだんだんと分かり、本当に気づきの多い7年間でした。これからはどこに何年住んでいくのか、計画も何も無くて全然わかりませんが、これにて「となりのとなりの芝生も青いーオランダ編ー」は一旦おしまいになり、これからは長野編をスタートしたいと思います。

(オランダの空間作りはいつもおしゃれで上手でした。懐かしい。こちらは、デルフトにあったタイニーハウスのコミュニティスペースです。)

*最後までお読みいただきありがとうございました*