息子が、原因不明の感染症にかかり、入院しました。
その日は、生後一週間ということで、助産師さんとクラームゾルフさん(産褥婦と新生児専門のヘルパーさん)、どちらも訪問する日でした。
始めに、助産師さんが到着し、ベビーベッドで眠る息子を見て、「少し顔が黄色いかな。でもアジア人はもともと肌の色もあるので、そこまで心配しなくてもいいでしょう。」といい、帰っていきました。
その後、クラームゾルフさんがやってきて、いつも通り、検温をするとかなりひ低くく、急いで私と息子、両方が服をぬいで、肌と肌で温めることに。日本ではあまりないですが、オランダではそれが一般的だそうです。
それでも体温の上がりが今一で、熱めに作ったミルクを飲ませるも、低いまま。
そういえば、その前の晩は、泣くことがほとんどなく、私は5時間も寝てしまっていて、一回分の授乳をスキップしてしまっていました。
新生児でこれだけ寝つづけてしまうのは、良いことではありません。
息子は衰弱していたのです。
帰っていた助産師さんを呼び戻し、診てもらうと反応がとても鈍く、病院へいくことになりました。
クラームゾルフさんのかなりとばした運転で子どもたちと病院へ。
病院へ着き、あれよあれよという間に、まだ生まれて一週間の息子は呼吸器や心拍を測定するコード、点滴、と管だらけになっていきます。
原因を探るために、血液だけでなく、骨髄液まで採取しました。
小さな体に大きな針がさされ、痛そうに顔を歪めますが、大きく泣きわめく体力もなく横になっている息子を見ていると、我慢しきれず泣いていました。
色々なスタッフに何度も何度も「何が家で起きていたのか」が聞かれますが、うまく話せません。目の前の息子の状態を受け入れるだけで精一杯でした。
処置がひと段落ついたころに、職場から夫が到着しました。
息子は救急処置が終わり、保育器の中で休んでいました。もう抱き上げることはできず、丸い穴の中に手を入れて、そっと触れることだけが出来ました。
ドクターから話があり、
息子は原因が特定出来ていないがおそらく何かしらの感染症であると。
この総合病院ではこれ以上対応できないので、隣町の大学病院まで救急車で搬送すると告げられました。
どうなっていくのか分からない不安、命が助からないのではという恐怖で、私の頭の中はいっぱいでした。
救急車には同伴できないので、私たちは電車で隣町まで向かいました。
*最後までお読みいただきありがとうございました*
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